☆☆35 広昌山定親院常国寺 ☆☆



2018年4月 常国寺千部会は 140回を迎えお稚児さんも20人の参加
で  華やかにお釈迦様に甘茶や、献灯をする行事を行いました




一乗山城を築いた渡辺越中守兼が文明年中(1469〜1486)に菩提寺として建立し、
上人を開祖としました。寺宝も多く宝物館に保存されており、3年毎に虫干しのため
開扉陳列されます。境内には以下のように数々の史跡があります。

鐘楼
本堂東の山腹にあります。昭和39年10月10日に福山市重要文化財建造物に指定され、「鐘楼一棟元禄時代の建立、方一間単層入母屋造り」の説明文があります。

番神社
山内東側の丘に喜正堂と並んでこの番神社があります。番神は田の番をしてくださる神で、30体あり毎日交替で田を見回って下さるといわれています。昭和39年10月1日に福山市重要文化財に指定されました。
仁王門前の法界
碑の高さ約3m20cm、全高約4m70cm、台座の下の基壇は三段で熊野の角柱石では最大のものです。当時この法界碑の前が論田池の堤防で、その上が参道になっていました。

渡辺氏歴代の墓
本堂裏に「一乗城(黒木城)渡辺氏歴代塋城」とかかれた立札のある一段高い一郭があります。そこに7基の五輪塔と一基の擬宝珠石柱が立っています。越中守兼以降の一乗城主渡辺氏一族の墓ですが、どの墓石が誰のか不明です。
将軍塚
裏山に足利義昭将軍の墓と言うのがあり、これを将軍塚と称しています。義昭は天正元年(1573年)信長に京都を追われ、天正4年西国の雄毛利輝元を頼って鞆へ来て、城主渡辺高に警護され常国寺に3ヶ年程滞在しました。死後に分骨を葬り将軍塚としたと伝えられています。

玉屋長者の墓
王屋の墓地が本堂の裏にあり、15基ばかりの板碑様墓石が並んで立っています。殆どの墓石の文字は風化して明らかには読めませんが、中に「王屋先祖代々」とよみとれるものもあります。元禄時代の文限者で「土城川原の砂はみてても、玉屋の銭はみてはせぬ」と唄われたほどの大金持ちといわれました。(郷土読本上巻より)
将軍門
常国寺仁王門からの石段上にある山門で、将軍義昭が当寺に滞在したときに、常国寺へ寄進した唐門と伝えられており、将軍門と称しています。門扉の桟唐戸上方の乱れ桐文は薄肉彫りで桃山様式を伝え、昭和39年10月10日に福山市重 要文化財建造物に指定されました。

ケヤキ
境内に3本あり、東参道の崖に生えています。最大のものは樹高30m、目通り周囲4mの巨木で、昭和37年3月31日に福山市天然記念物に指定されています。

境内周辺には桜が植えられ、春は常国寺行事のお稚児さんや、地元の茶道同会のお茶席も開かれます。


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